A fish on the leaf of the banana.

血ですること

妹は夫婦でアルゼンチンタンゴを習っていて
二人でミロンガ(アルゼンチンタンゴを楽しむサロンのようなところ)
に出掛けることもある。
日本でよくある
社交ダンスを習い,練習に練習を重ねて大会にでる・・
というのとはちょっと違う。
楽しむために習っている感じがいいなぁと思った。

妹の先生は
アルゼンチンタンゴは心で踊るものだと言っている。
私も前に何かのテレビ番組でそんなようなことを聞いたことがある。

踊っている間
目の前の相手に身を委ね
その瞬間
狂おしいほどの恋をして
それは もう
アタシたち
や っ ち ま っ て る よ

くらいの気持ちで踊るのだそうだ。
そういう激しさを静かにたたえて,情熱的に踊る。
「なんか日本人には無理っぽい」と私が言うと
「そうなんだよね」と妹も言った。

日本人は真面目なので
踊りのステップ,動き,流れ
全てを完璧にマスターする。
だけど アルゼンチンタンゴの心 がない
ということなのだ。

口惜しくて残念だけど,どうしてか納得してまう。
それは
持って産まれるものなのか
それとも
その土地その空気その時間の流れが育むものなのか。

魔女の宅急便という映画の中で
主人公の魔女がどうやってほうきで飛ぶのかを尋ねられ
上手く説明できずに

「血で飛ぶ」

と言う。
そうなんだよな・・血で飛ぶんだよ。
ほうきで飛んだこともないくせに妙に納得した。

とことん突き詰めて極めれば
血でするということも乗り越えて
自分のものに出来るのかもしれない。
でも
血でしているという姿は威厳すらあるように思えて
そうでない者には近寄りがたいのだ。


自分にもそういう何か
血でしているようなことがあるのだろうか。
たとえば
侘び寂びなんて難しいことはわからなくとも
季節の移り変わり,花鳥風月をしみじみ楽しむ気持ちは
日本人の血でしているのかな。
誰かに教えられたようで
誰にも教えてもらっていないような不思議な心。

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by lotus-moon | 2005-04-19 17:20 | 静かなこと